就活がはじまった

就活がはじまった

らしい。LINETwitterに来た知人からの「就活がんばろうメッセージ」を片手で滑らせながら、平日にもかかわらず人の多い蔦屋書店で、購入したアイスココアを飲んでた。

休学して一年。特に何か、ESや履歴書に書けるようなことはしていない。塾講やカフェのアルバイトをしながら、たくさんの本を読んで、ネットを通じて知り合ったたくさんの人に会ってきただけ。きっと大学生なら、この一年を使って「何か」しなければならなかったのだろう。この焼却炉へ続くベルトコンベアーのような日常が、どうにも落ち着かない。

この一年の収穫を強いて言うならば、僕が僕自身のことをよく分かったということ。僕はLGBTで、性指向がPan(もしくはBi。自分でもまだ不明瞭だ)-sexual性自認X-Gender と呼ばれるものに分類している。(性のカテゴライズについてはまた別の機会にお話しできればと思う。)この一年たくさん会った人の多くはLGBTの人達で、30代のやや小太っていてどこにでもいそうなサラリーマン風のおじさんだったり、眼が異国のラクダのように瑞々しくて、鼻は空へ跳ねて飛んでいってしまうほど綺麗な流線形をした歳上の美青年など、書けばキリがないほどの人と出会った。その人とは違う美青年だが、交際だってした。彼は何を考えてるのか分からないところがあった。隣から見える三日月のような横顔はいつも、表情を隠していて、別れてしばらく経つ今でも、その姿が朝の日射しと共に瞼を貫いてくることがある。本当に美しかった。

半年近くカフェのバイトをしていたのだけれど、上手くこなせる方ではなかった。応募する前は悠長にカフェの仕事内容をイメージしていたが、実際は激務。人によってはたかがカフェのバイトと思うかもしれないが、バーやキッズ用品店、塾講師など今までやってきた仕事の中で一番きつい仕事だった。カフェの仕事は常にリアルタイムで変わり続ける。常に消化しなければならないものがいくつもあり、客が出入りするたびそれらの優先順位は変わり続ける。目紛しく変わる優先順位を常に決め続ける作業がどうにも苦手で、真っ先にしなければならないことがあっても忘れて他のことをしてしまうことが多々あった。改善しなければと思い気を引き締めてやるもやはり忘れてしまう。どうも何かがおかしいとこの頃から気づいていた。そして最近知った。

僕はADHDだった。

厳密に言うとADHDかもしれない。(説明はこれもまた後日)金銭の事情で医師の診断を受けられていないのだ。(ADHD診断には15,000円ものお金がかかる。病院にもよるが。)

ある日ふとその言葉を目にして調べてみると悉く自分に当てはまる。現在にも過去にも。所謂発達障害と呼ばれるものだが、あまり気にしてはいない。むしろ安心した。これまでの自分の行動、心理、ここ最近の仕事における失敗など、いくらかはこのような理由があったからなのだろうと、点と点が繋がったような気がしてほっとした。最近友人と話したことで、「器用な人は何でもできる分伸ばすべきところがわからない。でも不器用でできることが少ない人は、むしろ伸ばすべきところがはっきりする。」自分の適性を知ることはとても大切なことだ。適性を知らなければ自分のしてきた行動の意味さえ分からなかった者だっているのだから。

これからすべきことは何だろう。ADHD特有の、多動性・過集中・衝動性は活かしたい。友人が言っていた。「やりたいことがあっても、結局勇気が出ないまま、できずに死んでいく人はいるよ。」やりたいこと、やはり起業やフリーランスに繋がる気がする。では起業するなら何が必要か。武器になる技術が必要。当たり前だがこれが非常にネックな問題で...。文系大学生の僕には何の技術もない。勉強してはいるがなかなか見通しは悪い。数年だけ企業に就職してみて、ある程度学んでから起業すればいい、と言う人もいる。しかし数年の企業勤めで学べるものはどの位のものだろう。多分考えていても分からない。この一年いろんなことをして、いろんなことを考えたんだなあ。

はぁ、就活がはじまらない。